INTERVIEW

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2007年12月15日

今回のレクチャーのタイトルは『マチ・ヒト・スマイ』でしたが、鵜飼さんにとってヒトとはどうゆうものですか?


また難しいことをいきますね(笑)
まず設計者としては、クライアントを前にしていますので、その人のことです。その人を通して社会があるし、その人のバックボーンの中に歴史もあるし、未来もあるし、社会性がその中に入っている。そこの個別性からしか何も得られないだろうなと言う風に思っています。
こんな人がいるだろうとか、こんな社会があるだろうとかでは、何もわからないんです。なるべくクライアントに出会う時に、自分は真っ白にして出会いたいと思っています。もし今回こうゆうのを作ってやろうと思って、クライアントに会ってしまうとダメになる。だから、素材も決めないし形も決めないし、敷地見る前に人に会うので、その人がその敷地をどう見ているかっていうのは、大変重要な事項ですね。それがどこまで結果に繋がるかというのは、いろんな理由によって前後したりしますけれど、まず人というのは、入り口、窓口というか、社会を見ていく小さな穴みたいな、社会と壁みたいなものがあるとしたら、小さな穴で、穴から入った像がヒトのなかでひっくり返って映し出されているっていうイメージですね。ですから、家の中とマチというのは、ほとんど同じ意味と思っていて、内部も外部もそれは結局同じで、雑誌のほうにはムロって書いてあるのは、最終的な逃げ場所としてのシェルター:ムロっていうのがその奥にたぶんあると。住居の中には、マチと等価の部分とムロのような隠れる部分の二段階的な雰囲気があるのだろうなって思っています。

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2007年02月16日

---「現実を斜視で切り取る発想法。」と展示を終えて------------
brown:FLAT black:加藤万也さん

このようなカフェでの展示はどうでしたか?

僕は既製品を使った作品が多いんで、
ギャラリーや美術館などのホワイトキューブに展示すると
いかにも現代美術っぽく見えちゃうわけですよ。 
それだと実は現実感という面白味があまり出てこない。 
だから、作品だと気付きにくいこういうカフェでの展示は面白かったですよ。


実際に見に来てくださったお客さんが、
加藤さんの作品を後ろにして「展示はどこでやってるの?」
と聞かれたこともありましたよ。

うんうん、グフフって感じでかすね(笑)つまり場に馴染んでるという事でしょうね。

加藤さんは理系(建築学科)の大学の他に芸術系の大学でも教えていますが、
授業を行う上で前者と後者ではギャップはありますか?

基本的に僕が伝えようとしている事は、
「自分達が今まで持ってきた価値観を一度疑ってみよう」という事なので、
自分の美意識に固着する傾向のある芸術系の学生に比べ、
建築学科の学生は美術に対して無垢なぶん素直に聞き入れる素地がありますね。



加藤さんはデザイナーへ進むことを考えたことはありますか?

デザインはクライアントがいて成立する領域で、
僕がアートにとどまっているのは、クライアントがいなくても成立するからなんです。
一時期、デコレーション看板を依頼されて作ってた事があるんですが、
アレは簡単にスゴく金になる。
ぴゅぴゅぴゅーって一ヶ月ぐらいで作って数百万円ってこともあるわけですよ。
オイシイと思うんだけど、それをやってると美術作品を作ってるのが、
バカバカしくなってくるわけです。おカネという現実は強烈ですからね。
でも妄想かもしれないけど、それ以上の価値があると思ってるんで、
こうしてカネにならなくても作品を作り続けてるわけなんです。


イギリスでの滞在や展示の経験から、
アートに関しての日本とイギリスの違いは何ですか?

イギリスだとビジネスマンなんかでもアートの話をしてて、
それで自分の「ふところ」をはかられるんですよ。
欧米は自分の意見を言う習慣がつくられる教育システムになっていて
「なぜ」を凄く聞いてくるんです。

建築の世界もアートの世界もコンセプトが無いものは、
ただの「ごっこ」になっちゃうのが多いと思う。
言い方悪いけど「建築ごっこ」とか「アートごっこ」とかなわけですよ。
徹底的にコンセプトを考え抜いて、自分で自分に「なぜ」を作る。
その答えをいかにたくさん持てるかが重要です。
当然その一つ一つの答えにも「なぜ」をぶつけていくと、
最後にはもの凄い数の「理由」になる。

日本人はディベートが上手じゃない。
ディベートすると自分の人格を否定されてるような感覚になるでしょ。
それは日本人が「考え抜く事」に慣れていないからだと思うんですよ。
日本人は考える事が苦手だからオリジナルがなかなか作れない。
そういうところは海外の連中と比べると凄く負けてる。
「なぜ」に対する答えをたくさん持ってると「なぜ」に対して一番適切な答えを出せる。

表現する事とは要するに「コミュニケーション」なんだから、
相手が求めてる事に対して「一番近いものを出す」ためには、
それだけ自分に「ふところ」が必要になってくる。
自分らしいモノを生み出すためには、
結局は自分の「ふところ」が広くなくちゃいけないんですね。





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2006年12月01日

 FLAT :設計するに当たってご自分のポリシーはお持ちですか?
三浦さん:急に痛いところをついてくるね。残念ながら探索中でいつも悩むところだけど、考え方の引き出しはなるべくたくさん用意しているよ。ほとんどが過去の失敗した案かも知れませんが。
クライ アントに出会ったときや批判されたときに、冷静に考え直して改めて自分の意見が言えるように。
あえてポリシーというと、施主に対してはたくさん妥協しても社会には妥協したくない。
社会やその制度に対してのつながりやビジョンのようなものはどこかに込めてつくっていたいとおもっています。

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